『傑作』の確信から視聴を辞めてしまう病

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「あ、これ傑作だ」と分かった瞬間に、アニメの視聴をやめてしまう時があります。 この感情、分かりませんか?|;゜ω゜| アニメの一話、下手すると冒頭のアバンだけで「これは素晴らしい。間違いない」と確信が降りてくる。カット割り、間の取り方、音の置き方、情報の出し惜しみ方——全部が「分かってる人」の手つきをしている。 「ハイ最高!!!」バン!と心の中で机のボタンを叩く。 『傑作』のフダがピコン!と上がる。 で、満足して視聴を終了する。いつか続きを見よう!^^ ↓ 見ない。積む。 というか、心の中ではもう見終わっている。最高傑作だったじゃん!^^ いやいや、最後まで見ようよ……|;゜ω゜| ※先に言っておくと、作り手からしたら「いいから最後まで見ろ」以外の何物でもないのは百も承知で、その上でこの挙動が止まらないので困っている、という話です。自分もゲームを作っている側の人間ですので、同じことをされたら「おいおい、そこで満足しないで全部遊んでくれよ!?」ってなりますよね。わかる。なので、これは僕自身の何かしらの問題なのです。 これって何なんだ?と長年思っていて、いくつか仮説はあるんですが、どれも決め手に欠ける。 仮説1:予測が当たりすぎて、脳が「もう見た」判定を出している 経験値が溜まると、冒頭の密度から作品全体のベクトルを外挿できてしまう。展開そのものじゃなく「この作り手はここからこう積む」という設計思想のほうが読めてしまうので、答え合わせの興味しか残らない。 仮説2:確信した時点で報酬が前借りされている 「これは傑作!」という快感がピークで、実際に見るのはそこからの下振れリスクしかない。見なければ、その作品は自分の中で永遠に完璧なまま保存される。 仮説3:作り手の目で見てしまっている 体験じゃなく設計図を読んでいる。設計図を読み終えたら、建物を見に行く必要をあまり感じない。これが一番怖くて、要は『受け手としての自分が死んでいる』んじゃないか、という話になる。創作系の技術書を読みすぎてもはや素直に楽しめなくなっている。末期症状。 ——で、聞きたいのはここからで。 みんなもこういう経験ありません? 逆に「これで見なくなったけど、後で見たらやっぱりとんでもなかった」作品は? この現象、自分だけの奇癖なのか、それとも作る側に回ったことがある人に起きがちな職業病なのか? 広い世の中、どこかの誰かがきっとこの現象・感情を然るべき言葉にしているのだと思うのですが。 いい呼び名募集。 逆パターン――「一話が地味だったのに、後から手のひらを返した作品」も歓迎です。 (※作品を貶す方向の書き方はナシで。「化けた」という話だけで) 自分だけだったらそれはそれで受け入れます|;゜ω゜|